漢民族の英雄「岳飛」

 

 

中国5000年の歴史において、最も中国人(漢民族)に人気があるのが、南宋の時代の「岳飛」でしょう。

 

歴史に全く興味のない中国人女性でも「岳飛」(中国語ではユエ フェイ)のことは知っているくらいです。

 

 

舞台は、圧倒的な軍事力で北宋を滅ぼした金国(異民族である女真族=満州族がつくった国)の10万もの大軍が、北

 

宋から逃げてきた皇室の一族がつくった弱国・南宋に、攻めてきたところからはじまる。

 

 

当時、「女真族が1万人いれば無敵!!」と謳われた女真族の軍勢が10万!!!

 

それは超・超・超・超・・・・まさに超がかるく10個ついてもおかしくないくらいの強さを誇っていた。

 

もともと宋は、周辺国にお金をばらまいて平和を保っていたので、ある意味平和ボケしており、軍隊はかなり弱かった。

 

南宋の軍勢が、金国の軍勢に勝てる可能性は、−1000%!!!

 

圧倒的な金国の軍事力を前に、予想通り連戦全敗、全く勝負にならない・・・・・(泣)

 

 

そんな絶望的な状況のなか・・・・・・・「その時歴史は動いた!!!」

 

漢民族の英雄・岳飛の登場である。

 

南宋に攻めてきた金国10万の大軍の中、ほぼ孤立無援な状態(っていうか、南宋の正規軍は逃げていないし・・・)

 

なのに、わずか4000の兵力で義勇軍として参戦。ゲリラ戦を展開し、見事6戦6勝!!!

 

卓越した戦略力、戦術力を駆使し、強烈なリーダーシップで、見事な統率力を発揮し、それ以後も当時無敵を誇った金

 

国の軍勢を相手に連戦連勝!!!

 

負けたことがなく死ぬまでの18年間全勝らしい・・・・ほんまに凄い・・・ありえへん・・・・

 

また戦った相手が中国5000年の歴史の中でも、強さ上位3位には入る女真族だというところがまた凄い・・・・・

 

最後のほうは、逆に北方へ攻めてゆき、かなりの領土を取り返したというから驚きである。

 

 

もともとは貧しい農民の子として生まれたのに、勉強、武芸に精進し、義勇軍に参加。

 

略奪を日常茶飯事で行う軍勢が多いなか、岳飛率いる軍勢は統制がとれており、また略奪行為等も一切行わなかったの

 

で、民衆からもかなり慕われていたらしい。

 

このようにどんどんと頭角を現し、連勝する度にどんどんと昇進していったが、岳飛の人気・勢力をおそれた南宋の宰

 

相・秦会の謀略にはめられ、無実の罪で獄中に、そして獄中でいびり殺されてしまうという悲劇的英雄である。

 

現在では漢民族の英雄として祀られており、人気度は圧倒的なNo1である。

 

やはり異民族からの侵略から漢民族を守ったという点から評価が高いのでしょう。

 

 

浙江省杭州にある岳飛のお墓(「岳廟」)に、正月の家族旅行で行ってきました。

 

歴史好きの僕と長男は、何事にも興味深く境内を隅から隅まで散策してましたが、歴史に興味のない次男と長女は、雨

 

のなか、その辺を走り回ってました。

 

寒い真冬の平日でしかも雨が降っているにも関わらず、中国人観光客でいっぱいでした。

 

お墓の前には、岳飛を謀殺した秦会ら4人の、正座して懺悔している銅像がありました。

 

多くの中国人観光客が、その銅像に向かって、ツバを吐いたり、ゴミを投げつけたりしてました。

 

「銅像に向かってそこまでせんでもええやん。」

 

これが僕と長男の思わずはいた一言です。

 

まあそれだけ岳飛がほんま中国人から尊敬され、愛されているんだなぁ、と実感しましたけど・・・・

 

 

最近の歴史では、岳飛を謀殺した秦会が平和を望んでいた穏健派で、岳飛は戦争好きな武闘派だったという説も出て

 

きてはいるが、やはり英雄なのは間違いないでしょう。

 

結局、金国は岳飛に戦いでやられっぱなしで、そのせいで弱体化し、最後にはモンゴルのチンギスハーンに攻め滅ぼさ

 

れるという運命となってしまう。

 

一方の南宋は、皮肉にも以後は軍事力(特に海軍)を強化し、揚子江という大河をうまく戦いに利用することで、元の

 

襲来から国を守り、結局、元3代目皇帝のフビライハーンまで、独立を守り通しました。

 

(これも岳飛のおかげ、と思っているのは、僕だけ??)

 

 

まあこれだけ歴史深い中国において、英雄と崇められていること自体が、ほんまに凄い!!!

 

ちなみに岳飛が死んだ日(12月29日)は、僕の次男の誕生日である。

 

この事に、長男が異常に反応し、「隼(次男)が、岳飛の生まれ変わりではないか?」と、一人ではしゃいでました。

 

(・・・・・関係ないか。)